わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
お読み頂いたご感想やご意見もお寄せください。
登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません



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2015_07_01


 それにしても今年の天気はおかしいねえ、全く。
 5月に台風の心配をしたり沖縄も梅雨入りが遅かったのにあっという間に梅雨明けしてもう夏になっているのに九州じゃあ平年の数倍もの雨量の梅雨になっているし関東じゃあ天気予報が当たらない日々が続いているしこのままだと東北地方の梅雨入りが記録的な遅さになるというし全くもっていったいどうなっているんだろうと首をかしげる日々が続いているわけでしてこんだけ記録的に長い一文にしたのも記録的で読み手のことを全く考えていない出だしになりました(笑)。

 でも、梅雨らしいといえば梅雨らしいわけですけど、天気予報がよ〜く外れますねえ(笑)。予報しづらい時期ですし、雨が降るのかどうかころころ雲行きが変わるだけに予報士の方も予報がやりづらいよねえ。と、これを書いている部屋の外でも雨が降ったりやんだりしています。ホントにじめじめした嫌な時期です。

 こんな時期の町中で私の心をいやしてくれるのは道端に咲いているアジサイに花々です(似合わねえ言い方)。今が見ごろと咲き誇るアジサイなんですが、どのアジサイを見ても何かが物足りない気がして仕方なかったんです。よ〜く考えると「でんでんむし」がいない!全く見ません。私の個人的な感想ですが、「アジサイ=でんでんむし」なんです。アジサイの葉っぱにはでんでんむしがいないと一枚の絵にならないんですなあ。雨に打たれているアジサイの葉っぱには、でんでんむしがいないと梅雨の正しい日本の風景にならないんだな、これが。このことを行く先々の幼稚園の先生方にお話ししたところ多くの方にご賛同を得ました(笑)。

 そして、でんでんむしを見なくなったという方が本当に多いんです。まだでんでんむしが出る時期じゃないのかなあ、とも思うんですが、それにしても見なくなったと思いませんか?そういえば、うちの息子のれですけど、小学校3年生の頃に東京の小平にあるうちの墓参りに行った時に、生まれて初めてでんでんむしを見たんです。「おー、これがでんでんむしか!」と驚く息子を見てその姿に驚く私。そうか、お前は今まで本物のでんでんむしを見たことが無かったのかあ、これって親の責任かなあ〜、小さい時に野山に連れて行かなかった俺のせいかなあ〜なんて心の中でちょっと父親としての反省の目も持ち上がってしまう私でした。私自身は、小学校4年生まで新宿区下落合というところに住んでおりました。今から40年以上の前の話ですが、当時の新宿には、梅雨入りになれば普通にでんでんむしを捕まえることができたし、いろんな虫だけでなく蛇まで捕まえることができました。え?私が捕まえたんじゃありませんよ、うちのおやじが捕まえてました。そんな感覚があるものですから、アジサイ=でんでんむしという方程式が自然と出来上がったんですねえ。それだけに今、でんでんむしを見かけないと寂しくて仕方がないんです。

 でもまあ、でんでんむしに限らず「むし」を見なくなったのも事実です。うちの子供たちなんて「蟻」「蚊」「ゴキブリ」それと夏に見る「蝉」ぐらいが知っている「むし」なんだろうなあ。トカゲなんて見たこともないだろうし、蛇なんて見たら気を失ったりするんじゃないかなあ(笑)。東京ってそんな土地になってしまたんだなあ、とこの頃思う私なんです。寂しいなあ、だけじゃなくて子供たちにとっても決して良い事じゃない気がします。これも個人的なことですが、子供時代に「むし」で遊んで、その挙句に殺してしまうことが多かったです。殺してしまったその後に思うのが『本当にかわそうなことをしたな』という後悔の念が子ども心に生まれたもんなんです。しかし、しばらくするとまた同じことを繰り返してました。その度に『かわいそうなことしたな』と思うんですが、またしばらくすると同じことしてるんだよねえ。でも、その繰り返しの中で『弱いもの、無抵抗なものをやっちゃうことの罪悪感』が生まれてました。「むし」たちにとってはこれ以上ない残酷な話、迷惑な話ですが、子供たちにとってはある意味では必要なことなのかもしれませんね。子供たちに「やっていい事とやってはいけない事」を実体験として、自分の心を痛めることによって知るわけなんですよ。これからの時代、もっともっと「むし」がいなくなって、子供時代に経験して欲しい事が出来なくなっていくんだなあ。これに代わる方法、弱い者や無抵抗なものを傷つけてしまう心の痛みを知る方法ってなんだろう。う〜ん、わからん!





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