わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
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今回も画像はありません

2016_01_01


 今から30年ほど前の話です。

 私がまだ最初に所属していた劇団での公演に数人の客演の方をお願いしました。その中に中村秀利さんがいらっしゃたのです。
 当時の私ですが、様々な理由から出演者と言うよりは、裏方の仕事に従事しておりました。公演の 製作助手、舞台監督助手、大道具担当など裏方全般にわたる仕事をしていました。

 公演の稽古のある日、中村さんが稽古場にいらっしゃたのです。その日が稽古には初参加でした。「久保田と申します。今回はありがとうございます、これが台本です。」と、椅子に座っている中村さんにひざまづいて台本を渡しました。「あ、どうも」と軽く会釈しただけで至って物静かなダンディーな反応で台本を受け取られました。「えらく、無口な人やなあ、やりにくそうな人だなあ。」これが第一印象です。あとから思えば、ものすごく人見知りするシャイな人でしたから初対面の初めての稽古でしたらあんな対応になる人だったんです。私は単なる裏方の人間でしたから舞台上で共演することもなく、稽古や舞台の袖から見ただけでしたが、「へえ〜、歌もうまいしダンスもそこそこやるし、なんてったって、セリフ回しもナレーションもうまいなあ。声がいいよなあ。」と感じました。

 公演は無事終了して、数日後に製作助手として、中村さんのご自宅に電話をしました。「先日はありがとうございました。もの凄く些少ですが、出演料をお振込させてください。金額は〇〇〇円です。」「あ、そうですか。ありがとうございます。」またまた無反応な返事です。「口座を教えていただけますか。」「はい。△△△です。」「あの〜誠に恐縮ですが、振込手数料を引いてもいいですか。」「あ、はい。いいですよ。」「ありがとうございます。それでは、振込させていただきます。」これが、私と中村さんの初めての電話のやり取りでした。電話の対応も至って静かでクールな話しぶりだったんです。やっぱり、シャイだったんですねえ。

 そんな会話を最後にご無沙汰をする日が1年ほど過ぎまして、私は中村さんと再会する日が来ました。とっても短いラジオドラマで、中村さんが主役で、私がほんのチョイ役のガソリンスタンドの店員の役でした。セリフとしては、二言三言会話するだけでした。中村さんの役はとってもシャイなミュージシャンで、中村さんの人柄にとっても合っていた役でした。その時もスタジオでは至って静かな人でした。「お久しぶりです、久保田です。」「あ、どうも、よろしく。」といった程度の会話で録音が始まりました。仕事が終わると「お疲れ様でした。」の一言だけで、さっさとスタジオから消えてしまう中村さんの後姿を憶えてます。

 それからまた1年ほど過ぎた日の再会がなんとNHKだったんです。平成元年10月のある日、NHKの702リハーサル室で「ともだちいっぱい」の中で放送される試作番組の第1回目のリハーサルが行われました。その試作番組こそが翌年からレギュラー番組となった「つくってあそぼ」だったんです。私が部屋にいると、中村さんが入ってきました。実は、その時点で私は、共演する着ぐるみキャラクター(つまりは、ゴロリくん)の声を誰が担当するのかを全く知りませんでした(笑)。本当です。そこに中村さんが現われたので驚きました。私としては、全く知らない方と共演するよりは、若干とはいえ、舞台やスタジオでお会いした人の方がやりやすいと思ったのも事実です。でも、当時の私の中村さんに対する印象は今まで書いてきた通り。「う〜ん、こりゃたいへんかなあ。」と思ったもんでした。この試作番組の中では私は歌があり、中村さんと一緒に歌うのでした。歌は別の日に録音でした。録音当日、どうなることかとヒヤヒヤもんでスタジオに行きました。だって、私は音感と音程をおふくろの腹の中に忘れて生まれてきたような人間です(笑)。それに引き換え、中村さんの歌唱力は十分に認識していますから、怒られたらやだなあ、なんて思ってました。しかしです、スタジオでの中村さんの対応は全く違うものでした。へたくそな私にものすごく親切に丁寧に教えてくれました。「え?こんな人だっけ?」というのが正直な感想です。

 その後、番組の本番収録でも私の今までの印象をことごとく覆す中村さんの姿に驚きました。そして、平成2年に入るとすぐに番組のレギュラー化が決まり、「つくってあそぼ」の収録がスタートしました。中村さんのは、私の演技に関しては一切口出しはしませんでした。それは、試作番組の時から変わりませんでした。私の方からアドバイスを求めることも初期の段階ではありましたが、途中からはほとんど演技に関しての話はしませんでした。というのは、私は中村さんのスタジオでの仕事に対する姿勢を見るだけで十分でした。役者は何をすべきか、どう行動するべきかを中村さんの姿勢から学びました。それからは、酒でもカラオケでもいっぱいお世話になりました、いっぱい学びました。だから、私は中村さんを「師匠」と呼び、いつの間にか番組のスタッフも「中村の師匠」と呼ぶようになってしまいました。言葉で言うのが下手だったんでしょうか、口でとやかく言う人ではありませんでしたが、その姿勢で表しているような方でした。

 飲んだ席で「俺はね、くぼっちゃん、60(歳)で死ぬことにしてんだ。」と半分真面目な目つきで言ってました。そして、本当に60歳と5か月で昨年12月に逝ってしまいました。

 あれから1年経ちました。心に空いた穴は小さくなっても決して塞がることが無いんですね。これからも「師匠」の背中を追いかけて行くのが私です。

 









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