わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
お読み頂いたご感想やご意見もお寄せください。
登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません

この「日々つれづれ」、これまで21年の舞台裏を、
すこしずつご紹介しています ... 今回は、その22回目!
今回は、「50歳の私! ... 」を いろんな「想い」を込めて ....。


今回も画像はありません

2011_08_**

 8月8日、私は50歳になってしまいました。とうとう50歳です。

 学生時代には、50歳なんてジジィだと思っていたら、とうとう自分がそのジジィになってしまいました。あの頃には、自分の50代が想像できなかった。いや、考えなかったといった方が正確かもしれません。その時その時を精一杯生きてきたといえば聞こえはいいが、自分の未来を真剣に考えることを放棄していたのです。いや、考えるのが怖かったのかも。子供頃は、一日が長かった。今じゃ一年があっという間です。「もう紅白の時期か!」と毎年言ってます。

 私の人生で最大に出来事と言ったらなんだろう。
 この業界に入ったことでしょうか?でもやっぱり結婚して、子供が三人もできたことでしょう。私、実はこの業界に入ってから結婚はできないと本気で考えてました。だって、自分が食べていくのが精いっぱいで結婚して、嫁さんを養っていけるなんて到底無理な話だと思ってました。それが、当時、劇団の研究生だったかみさんと付き合い始めて、あれよあれよという間に結婚してました。あまりにも貧乏だったので、私の両親は大反対でした。

 そりゃあそうでしょう、よその娘さんを貰うにも息子自身が明日をも知れないような状況でしたから。そのため、結婚式はやってません。籍を入れただけです。だから、結婚記念日がわかりません、ワハハハハ。結婚しても相変わらずの貧乏暮らしで、子供なんて作ったら大変だ・・・なんて思ってたら、あれよあれよという間に三人出来ました。今だから言えますが、「つくってあそぼ」を始めてからも数年はアルバイトもしてました。次女の出産費用を捻出するためにカラオケボックスでアルバイトもしました。これ、本当の話。ただがむしゃらにかみさんと子育てに生きてきたような人生です。それでも後悔はしてません。

 学生時代にこんな人生になるなんて想像もしませんでした。今に似て思えば、あのころ、親父が言っていた事がわかります。「そんなことをやってて将来は、どうするつもりでいるんだ?」演劇を始めたころによく言われました。だって今の私は、これからの10年先、いや、5年先も考えられないのが本音です。と言っても今迄やってきたことに後悔はありません。素晴らしいスタッフに恵まれたおかげでここまでやって来れました。でも、今のままが永遠に続くわけがなく、これからいったいどんな人生を私は過ごすのか、不安の方がいっぱいです。

 この仕事を始めてから28年が過ぎました。ただそれはがむしゃらにつっぱして来た28年です。訳も分からず飛び込んだこの業界で気が付けば、28年過ぎ、今年で自分が50歳になってしまったのです。振り返ることもせず、日々の仕事をこなす続けてきました。幾度となく、同じ過ちを繰り返し、その過ちに自分なりの弁護を付け、仕方なかった、仕方なかったを繰り返し自分に言い訳をしてきたような気がします。実に弱い人間なんです、本当は。

 今にして思えば、一つだけ後悔していることがあります。自分の後継者たる人物を作らなかったことです。自分のことで精一杯だったとはいえ、後継者を育てられなかったことが残念でなりません。私の思いや仕事を次なる世代へ伝える努力がこれからの私の仕事になるのかもしれません。「つくってあそぼ」「わくわくさん」をやって来て、工作、造形の持っている素晴らしさがわかってきました。自分の手でものを作る素晴らしさ、それは「生命」を生み出すことと同じであるということを知りました。そして、私自身で言えば、自分の手で「生命」を作り出す喜びと感動を子供たちに伝えるという仕事に携わっている喜びを味わっています。そしてこの仕事が持っている重み、責任の重大さをいやというほどに味わっています。

 それだけに私の後を引き継ぎ、子供たちに工作の持っている素晴らしさや意義を伝える人間を育てなくてはならないと痛感しております。今まで逃げていた私の仕事がこれかもしれません。

 頑張って後継者を作ってみようと思う今日この頃です。




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