わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
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この「日々つれづれ」、これまで23年の舞台裏を、
すこしずつご紹介しています ... 今回は、その29回目!
今回は、「運動会シーズン」 ... にからめて です。いろんな「想い」と「決意」を込めて ....。


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2012_07_01


うっとうしい季節です。体調管理が難しい日々が続いております。

なんといっても私は一人。代わりがいませんから、病気なんぞになれません。万が一の場合は、這ってでも行く覚悟でおりますが、実際問題として、そんなことはできるわけがなく、とにかく、自分でしっかりと体調を管理せねばならないのが実情です。それにしても、本人も驚くほど、健康ですねえ。私の持論ですが、「ものを食べれるうちは、絶対に大丈夫!」とういのがありまして、食欲の有無が、健康状態の判断材料にしております。「あれが食べてい!」と思えるうちは、絶対に大丈夫だ、などとほざいているわけでして、それを理由に暴飲暴食がやまない私がおります。

さて、先日、金沢大学の学生さんが作っている小冊子のインタビューを受けました。私にとって金沢大学は、思い出深い大学です。もちろん、ここの卒業生ではありません。簡単に申しますと、私が受験した唯一の国立大学なのです。

高校2年生のころから、私は、日本史に取りつかれ、日本史と古典の関係の本ばかりを読み漁ってました。その中で、私の両親に深く関わっている金沢のこと、石川県の歴史に強い関心を持つようになり、それに伴って、金沢に対する憧れも日増しに強くなっていったのです。大学へ行って、日本史の勉強がしたい、金沢に関する歴史を勉強したい、それが私の受験目的でした。ここで大きな問題がありまして、私、日本史以外の教科に全くと言っていいほどに興味が無いのです。日本史にも関わる古文は別として、それ以外、特に理数系に全く興味がわきませんでした。私の受験の頃は、まだ共通一次試験の時代でした。とりあえず私も一次試験を受験しましたが、自己採点で恐ろしい点数をはじき出しました。受験科目は、現代国語、外国語、数学のほかに、理系を一つ、社会系を二つの選択して、合計で6科目を受験せねばなりませんでした。翌日の新聞で、正解を見て自己採点をして、二次試験を受ける大学を決めて、応募をする形式でした。自己採点の結果ですが、今でも覚えているんですが、生物5点、という信じがたいものでした。数学は80点でしたが、200満点での80点で、平均は160点以上でしたし、同じく200満点の英語は、50点でした。しかしです、日本史は、100点満点で、90点、地理は、100点満点で、80点以上でした。この偏りのひどさには、驚きです。6科目の総点数の半分以上が、社会科の2科目という偏りは、自分でもどう判断したらいいのか全く分かりませんでした。ここまで来たら、もう笑うしかないですよねえ。そう言えば、生物は、全くと言っていいほどに受験勉強しなかったなあ。(おいおい、そんなんで選択するな!)全部の回答を鉛筆を転がして決めてました。答案は、番号を記入する方式のものですから、1から5までの中なら考えて、その番号のマークシートを塗りつぶすわけです。ですので、問題を読まずに、ひたすら鉛筆を転がして、出てきた番号を塗っていったのです。そうやって全問を塗り終わった後、答案用紙全体をじっと見つめまして、「3が続きすぎてる、ここは、1にしよう。」「1と4が少ないなあ、そんじゃ、この辺は、2かな。」という、他の受験生を完全に冒涜した答案を作成しました。こんなんで点数が取れるわけがない。0点じゃなかっただけマシでしょう(笑)。答案作成時間は、実に20分!驚異の速さ、いや、おバカ加減です(笑)。そんな受験結果ですので、親には、行ってません、今でも知りません。

それでも二次を受験することを考える私も私です。当時は、それぞれの大学が一定の点数基準を設けて、一次試験の点数が、それに達していないと二次を受けさせない、いわゆる『足切り』を行っていた大学が大変多かったのです。が、金沢大学は、『足切り』が無かったのです。こんな点数だけど、日本史に対する私の情熱がきっと大学に伝わって、面白半分に合格させてくれるかもしれないという、なんだかわけのわからぬ理屈をこねて、二次試験を受けるため、金沢大学に行きました。当時の金沢大学は、金沢城跡の中にありまして、城跡に立っている大学はここだけでした。今は、他の場所に移転しております。風光明媚な石川門をくぐって、キャンパス内に入っていく時の胸の鼓動を憶えてます。「ここが、金沢大学か〜、すげえ〜」と、そんな程度の受験生が私以外にいたとは思えません。二次試験は、英語、国語、社会系の3科目だった気がします。一つ目の英語でギブアップ、二つ目の国語でノックダウン、もっとも得意とするはずの三つ目の社会系は、すでに時遅く、幽体離脱状態です。英語なんて、B4サイズの問題用紙が4〜5枚あって、全部が英文!最後の1枚に問題文があるのですが、それがたったの一行、『以上の英文を読み、日本語で150字以内に訳せ』だって!知ってる単語がほとんど見当たらない英文をどう訳せってんだ?逆ギレ状態の私でした。まあ、そんな逆ギレで受験して、受かるわけがない。でも、石川門をくぐってキャンパスに入っただけでもうれしかった。

その後も受験した数々の大学をすべりまくり、浪人したのは、当然の結果です。それでも、一年後には初志貫徹、日本史学科に行った自分がかわいいのです、わはははは!受験生をお持ちの皆さん、この文章は、決して読ませてはいけません(笑)。






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