わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
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2013_07_01


 あ〜情けない。今、これを書いているのが、6月下旬ですが、大変落ち込んでいるといいましょうか、情けなさでいっぱいの私です。何が原因かと言えば、先日の都議会選挙です。選挙の結果ではなく、その投票率の低さに唖然、愕然、茫然です。
 43.5%なんていったいどういうことでしょうか。投票率の低さは何も今度の選挙だけではありませんが、これは低すぎます。都民は一体全体何を考えて生きているんでしょうか。私が思うに選挙たるものの考え方に問題があります。子供のころから、選挙はやってますよねえ、小学校の学級委員から始まって、中学、高校の生徒会員などなど、毎年必ず選挙というものを経験してますが、これが間違った。誰でもいいじゃん、やりたい奴にやらせておけばいいじゃん的な考えしか持たせずに、形だけ、本当に形だけの選挙ごっこ(あえて言わせていただきます)ばかりを経験させてしまえば、そのまま大人になり、いかなる選挙も同様にしか考えない国民ばかりに育ててしまったのでしょう。

 もっと根本的に言えば、「民衆主義とは何ぞや」を教えずにいった学校教育の問題になってしまいます。まず、北野武さんの著作の中に「日本人は民主主義のために血を流していないから民主主義を大切にしていない。」という指摘がありました。本当にそうだと私も思います。何にでも言えることですが、自分で汗水流して買ったもの、手にしたものは大切にして持ってますよね。それを手にするまでの苦労を自分の子供にも話して「お前たちもこうやって何でも手にしなきゃダメだぞ。」と教えるでしょう。こと、民主主義に関して、日本人はどうしてもこの部分が希薄なんです。その上、書いたように学校での選挙ごっこが根底に根付いちゃってますから、どうしようもないんです。

 民主主義を否定していませんよ。私が言いたいのは、口では、民主主義を唱えながら、それを維持する責任と義務をおろそかにしている国民性を嘆いているのです。政治を一部の政治業者(あえて言わせてもらいます。)にまかせっきりで、自分たちが参加しようともしない国民に問題があると言うことです。「誰がやったって政治なんて同じさ。」と言って、自らの意思を主張すべき選挙を軽視し、放棄する大多数の有権者。これを放置するかのような国民性がどんな結果をこの国に将来するのかを考えてください。「そんなこと言ったって、投票したいような政治家なんていないじゃん。」と言われそうです。確かにこの頃の政治業者は、小物ばかりだ。以前のような「これぞ、ボス」的大物政治家がいませんね。でも、大物政治家を毛嫌いしてきたのもまた同じ国民なんです。大物政治家ほど金と人と力が集まる、それは、その政治家が有能という表れの裏返しではありませんか。有能だから、金と人が集まり、それが力となっていくんですから。それを国民が毛嫌いし、「政治と金の話はこりごり」とか「あんな政治家が政治をダメにするんだ」とか言って、なにもできない、ただクリーンなイメージだけの無能な政治家に投票してきたんではないか、こういった見方もできるような気がします。

 話を選挙というものに戻します。選挙ごっこの延長でしか考えられない国民を作ったのは誰でしょうか。学校教育というより民主主義を根本から教えきれない、伝えきれない日本人そのものに問題があるんでしょうか。なんかあれば、投票で過半数を取れば、それが全体の意思として決定されるのが民主主義でしょうか。とすれば、全体の51%を固めればいいのであって、さらに、その半分、つまり26%を取れば、全体の100という数字を支配できるわけなんですね、この理論だと。こういう風に学校での選挙ごっこをしてきたわけですよ、私たちは。みんながそういうならそれでいいよ、そうした方がいいんだろうな、という流される楽さをいつの間にか身に沁み込ませさせてきたんですねえ。

 いじめっだて同じではないでしょうか。みんながあいつをいじめてるから、俺もやらなきゃ的な空気が教室を支配した時、恐ろしい結果が生まれだされ続けてきたわけです。「みんなが投票に行ってないなら、俺が行っても仕方ないじゃん、これだけで変わるわけないし。」という考え方が、大多数の若者を洗脳してます。投票は、自分の意思を明確にする唯一の場なのに、それを放棄したらいつ自分の考えを表すのか!な〜んて考えないんだなあ、みんな。民主主義は迂遠なものです。新しい決め事をするにも大勢の国民の意思確認とその手続きが必要なのであって、その迂遠さに飽きた国民は、政治を一部の政治業者にまかせっきりになり、その無能さにあきれた時、有能な政治家に多大な権力の集中を求めるんです。その代表が、アドルフ・ヒトラーではないでしょうか。専制政治ほど改革をドラスッチックに迅速に行えるんですから。でもその結果を私たちは知ってます。あの悲劇を繰り返さないためにも国民は政治を疎まず、積極的に参加し、政治業者の行動を監視し続けなくてはいけないのです。人類が火を発見してから100万年、未だに火事が無くならないんだから、人類が民主主義を作って200年足らず。まだまだ、なんでしょうねえ。

■参考文献■ 田中芳樹著 「銀河英雄伝説」(徳間書店)
          「リーガルハイ」 古沢良太脚本 (フジテレビジョン)

 







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