わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
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2013_08_01


今年も熱いですね〜、ってここ数年毎年言いているような気がします。皆さん、熱中症になどなってませんか。十分な水分補給が大切で、できるだけいっぱい水分を取りましょう、と注意を言われてますねえ。私が子供の頃とは逆です。スポーツをやってると、できるだけ水分を取るなと、水を飲むなと言われてました。全くの真逆です。それだけ、あの頃とは比べものにならない暑さなんでしょうし、事実そんな気がします。それだけ、地球の温暖化が進んだということでしょうか。いやな世の中になったもんです。

いやになったのは、温暖化だけじゃあない!この前の参議院選もそうです。相変わらずの低い投票率には愕然としました。これからの100年を考える選挙、な〜んて言っていたテレビ番組もあったっけ。でも、それは、今の日本人には通用しない、理解できないでしょう。テレビ局が言っていることは、多少オーバーな表現ですが、間違った言い方ではないと思います。国政選挙すべてがそうだといっても決して過言ではありませんから。

でも、国政選挙をそのように捉えられない国民が大多数でしょう。こんな国民を作ったのも戦後の教育の負の部分でしょう。当たり障りのない社会教育の結果かもしれません。どういうことかと言いますと、政治に関して基本的な批判の目を持たせない国民づくりの結果ということです。

学校での社会科教育は、簡単に言えば、「社会」と「歴史」です。「社会」で教える内容に現在に国のあり方に批判的な考え方を教えませんし、そうした見方、社会に対して常に批判的目を持ちつつ、国民が政治に行かに参加すべきかという社会教育は教えてませんでしたよねえ。そんなことは、当たり前と言いてしまえば、それまでです。だって、政治家が自分たちを否定するような国民を作るわけがない。また、日本人の多くが持っている政治家への錯覚があります。政治家は、国民から集めた税金をいかに効率よく再配分するかという業務を任されているだけなのに、それが偉そうに見えるのは、錯覚にすぎないのです。だからこそ、私たち国民は政治家を見張り続ける目と研ぎ澄まされた批判的まなざしを持たねばならないのです。私たちは、この点から根本的に考え直さないといけないのでしょう。学校教育では、こんなこと教えませんから。

「歴史」といえば、どうしても暗記物の科目というイメージが強すぎませんか?なぜ、歴史を学ぶのか、という根本的問題もありますよねえ。皆さんはどうして歴史を学校で教えているかって、考えたことはないでしょう。過去を知って一体なんになるの?というのが大多数の意見です。私に言わせてもらえば、この考え方が主流というこのことだけでいかに歴史教育が間違っているかの表れです。子供たちに学校で学ぶ意義のひとつに、子供たちに自分の未来を見つめて欲しいということがあげられます。そこで、必要なのが歴史を学ぶことなのです。つまり、「過去を知らずして、未来を見つめられない」ということなのです。未来の指針が過去に全てあるとは言いませんが、未来を目指すならば、過去を知る必要性を子供に教える、これが歴史教育の根本だと考えています。だから、過去の過ちを素直に見つめ、同じ過ちを繰り返さない努力をするのが今の社会に生きる我々の義務なのです。そのためにも歴史教育の重要性があるのです。

こんなこと学校じゃあ教わらなかったでしょう。先生がこんなこと授業で言ったら、教育委員会やPTAが大変な騒ぎになっちゃうかも。昔の国民は大変だったんだなあ、今の僕たちは本当に幸せだなあ的国民感情を育てる歴史教育に何の意味もないのです。過去を否定するのは、現在を肯定するためだけではないのです。こうした社会科教育で育った国民に100年後の日本を考えて投票しましょうは通じないでしょう。投票を促すCMにアイドルを使わなきゃいけない国なんですから、100年後を考える力はないと思います。人間にとって未来は必要です、だからこそ、過去を知り、現在を見つめ直す努力が大切なのです。もう一つ、過去の結果としての現在より、未来の要因としての現在をより大切に考えるようにしたいものです。こうしたことを子供たちに伝えずして、100年後の日本は無くなるのです。







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